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「合気道探究」原稿より
 1995年、東京・目白で開講した現代邦楽研究所は本年4月より、川崎市・溝の口の洗足学園音楽大学内に移転し、第11期を迎えました。音楽大学というこの上ない音楽的環境の中で、新たな一歩を踏み出し始めたのです。今までの先駆的な実績に加え、洋楽器とのコラボレーション、邦楽器に精通した教育者の育成、邦楽器による音楽療法など、より一層広がりのある音楽活動が期待されています。
  現代邦楽研究所の教育理念は、広い視野を持った、国際的に活躍できる邦楽人を育てることにあります。それは演奏家のみならず制作者、教育者、ワークショップリーダーにまで及んでいます。個性的で人気のある演奏家、作曲家、研究者によって行われる講義や実技レッスンは、魅力溢れるものばかりです。音楽の基礎知識、日本の伝統音楽やアジアの音楽の歴史や背景など、日本の音楽がいかに素晴らしいものかを多角的に体験的に習得していきます。実技レッスンは箏、三味線、尺八が一緒に合奏形態で行われ、五線譜を用います。五線譜は万国共通語として、我々、邦楽人にとって大変便利な楽譜なのです。
  もう一つ現代邦楽研究所には演奏上の大きなポリシーがあります。それは”指揮者に頼らない”ということです。大編成で洋楽器等との合奏は別ですが、基本的には指揮者不要論なのであります。それ故、合奏指導の主な目的はおのずと”息を合わせる””同じテンポ感を共有する”ことにかかってきます。日本の伝統音楽の特徴である「気合い」や「間」を非常に重要だと考えてのことなのです。
  特に三味線同士の演奏では「バチを合わせる=同時に音を出す」ことが重要になります。演奏者同士、同じテンポで弾いているところでも、弾いている音型が変化したり、アクセントをずらしたり、リズムの拍を変化させたりした時など、しばしばバチが合わせ難く、苦労するところです。通常、三a味線弾きが2人以上、グループで演奏する場合、一番気を使うことはこの「バチを合わせる」ということなのです。それは同時にバチを振り下ろし、同じ瞬間に音を出す、ということです。一見何でもないことのように思えますが、これが非常に難しいのです。いつも一緒に慣れ親しんでいる仲間との演奏でも、呼吸を合わせ、相手のくせを読みとり、しかも自分のバチをコントロールしてアンサンブルに臨まなければ、いい音楽は成立しません。
  三味線は横一列に並んで演奏することがほとんどですが、オーケストラのように眼前に指揮者はおりません。リーダー格にあたるタテ三味線といわれる人が弾きながら指揮者にもなるのです。共演者はお互いに視界に入る位置には座っておりません。それなのにテンポ、リズム(拍)、音程(カンドコロ)までもぴったりタテ三味線に合わせなければならないのです。息を合わせるだけでなく、タテが「ハッ!」「ヤッ!」「イヨッ!」というようなカケ声をかけて、気合いを込めて誘導する場合もあります。こうして日本音楽の演奏家は、お互いに気配を感じながら演奏するのです。
  特に難しいのは、タテが優柔不断に延びたり縮んだり、間を充分とって演奏する時です。特に名手はその落差が大きく、共演する誰しも胃がキュウッと痛くなること間違いありません。それほどまでにタテの創る音楽に同調して、バチを合わせ、音程を合わせていくのは難しいのです。共演者がタテに合わせて呼吸し、間をとり、バチを動かしている一方、タテ三味線は周りの状況を読みつつ、周りに合わせつつ弾きまくる、それこそが名人なのです。
  そこには、凡人が及びもつかない、とてつもなく大きな力が働いて、まるで魔法のように、よい音楽が生まれるのです。そんな名人と共演出来た時ほど、嬉しいことはありません。この世の中に、ここ一点と思われる、絶妙な「間」を体験出来るチャンスです。決して楽譜に書き表すことが出来ない、音楽の神髄がそこにはあるのです。
季刊「合唱表現」原稿より
 母が山田流箏曲家だったので、私はもの心ついた時から箏を弾いていた。そして発表会の寸前になると懸命に歌も練習し、弾きながら歌う、箏曲独特の演奏方法「弾き唄い」をしていた。つまり楽器を弾く人と唄う人を分けずに、一人で二役をこなすのである。両方共に充分な技量に達するまで、練習を積み、勉強するのだが、なかなか上手くいかない。挙げ句の果てには三味線(三絃)までやらされる。こちらも当然、弾き唄いが出来なければならないのである。現在ある2つの流派、山田流でも生田流でもプロの箏曲家になろうとするには、箏、三味線、歌とすべてに長けていなければならない。
しかしどれもこれも名人というわけにはいかず、三種ののうちのどれか一つが得意となるものが出てくる。それが私の場合は三味線だった。
 山田流は流祖・山田検校が能楽師の家に生まれた関係で、能楽から題材を得た曲が特徴的で、物語性に富んでいるものが多い。しかしながらその表現は直接的ではなく、押さえに押さえた微妙な表現方法を、江戸前の洒落好み、いわば通人にしか解らないような歌心を表している場合が多いようだ。それは明らかに関西で生まれて流行った義太夫節など、あからさまな表情をもって表現するものとは大きく異なる音楽になっている。強弱の幅はせまく、一定の音量で進んでいく。よほど上手く効果的に唄わなければ、何を言っているのかさっぱり解らない。それは聴いている人にではなく、弾いて歌っている本人にもよくわかっていない場合がある。
 例えば山田検校作曲の名曲「熊野(ゆや)」の一節「稲荷の山の薄紅葉〜」というのを唄うのに「いなああ〜あありい〜〜いいのお〜〜おおおやあ〜〜〜〜ああまあ〜〜〜あああのお〜〜おおお〜〜〜おおおお」となる。私の経験から言うと、言葉の意味はまず全く考慮せず、音声のみを箏なら箏、三絃なら三絃の音に合わせて発声しているにすぎなくなってしまうのである。はてさて、私は今、何という言葉を唄っているのだろう???、などと考えてしまったら、もうお終い。弾いている楽器はまずオロオロと間違えてしまいメロディーも解らなくなり、お手上げ状態となる。我々のようなプロの演奏家は一つの言葉をどんなに長く伸ばそうとも、その言葉の意味が伝わるように声に抑揚をつけ、節回しなどを巧く取り入れてあからさまではなく表現していくことが必要となる。それが山田流箏曲の歌である。
 箏の弾き歌いは比較的上手くいく。が三味線で弾き唄いは難しい。ご存知の通り三味線にはフレットがない。いわゆるカンドコロというポジションを左指で押さえて音程を作って音を出す。この作業が唄う時の生理的現象と全く同じなのである。音程の意識を持って唄っている時には、ほとんどの場合カンドコロを探れない状態なのだ。絶対音感のない私にはとても難しい作業なのである。歌は何も考えないでも歌えるくらいに覚えてしまい、三味線のポジションもほとんど条件反射的にぴったりいくようになるまで、何度も何度も練習を重ねる。それでも古典作品の場合は、三味線のメロディーになぞって、後から歌の節回しがあったり、着かず離れずの動きであるから、慣れればあまり困難ではないのだ。特徴的なのは同時に同じ音で弾いたり歌ったりしないことである。つまり、必ずと言っていいほど半拍ずれてその音を前だししたり、後からなぞったりする。また丁度、音と音のあいだで節が動いたりしてメロディーが完結したりする。

 現代作品の場合は全くと言ってよいほど、演奏者の生理的都合など考慮せずに作曲される場合が多い。ゆえに弾き歌いが可能な作品は少ない。当初は一人で弾き歌いするつもりが、どうにもこうにも一人では不可能な場合が出てきてしまい、歌と三味線と別々の奏者を仕立てなければならないこともある。その場合は、一人の奏者が弾き歌いしているがごとく、気合いを合わせることが必要で、これがまたかなり難しく、一心同体のように合わせられるまで長時間の練習が必要になる。
 また言葉をはっきり聴衆に解るように発音して唄うのも重要なことと思う。子音をいつもより誇張して発音し、音声の響きに紛れることなく、その意味を唄い込む。日本の歌の場合はメロディーなど、音の高低よりもその言葉の意味を表現することが重要ではないだろうか。声の美しい人がその音声に酔いながら唄っているのを聴くと、ほとんどの場合、言葉が失われているように思えるのだ。言葉を丁寧に発音して、語りかけていくような歌が唄いたいものといつも思って心がけている。その言葉の意味がたった一つの音声にさえ感じられるほどに唄えれば、声の表現として成功なのではないだろうか。

21世紀の音楽入門2 (教育芸術社刊) 原稿より
■打楽器的絃楽器、三味線の誕生
 
 江戸時代にほとんど現在の楽器としての機能や、その音楽が完成された三味線は、中国から琉球を経て、通説ですが、織田信長の活躍していた1562年に堺港に伝来したと言われております。琉球(現在の沖縄)では今の三線(さんしん)と同じように蛇の皮を張った小さい胴を用いて、3本の絃を爪弾いていました。三味線の撥(バチ)の使用に至るのは本州に伝わってのち、琵琶法師の活躍が全盛のころでした。
 それまで使用していた蛇の皮が本州では手に入らず、その代用品として、猫の皮が使われるようになりました。その結果、楽器としての音色が飛躍的に向上したのです。大きな琵琶の撥(バチ)を工夫して、三味線用に開発していったのも、音色の工夫を試みたからです。三味線音楽の種類によって様々な大きさや形態のバチが開発され、駒の材質とあわせて、その音色は多種多様になりました。バチの使用によって三味線は単なる絃楽器としての存在から、胴に皮を張った太鼓としての機能を持ち、打楽器的奏法が可能な打楽器的絃楽器になりました。
 三味線音楽が飛躍的にリズム感を持ち、それまで冗漫だった日本音楽が、生き生きとしたメリハリのある音楽に変身していったのです。このことは楽器の特性上、三味線が日本音階に半音を導いたという、日本音楽史上、非常に重要なこととされる陰音階旋律の発展に貢献したということに匹敵する、快挙だと思います。三味線は一方で、情緒たっぷりの陰音階をデリケートに奏で、また一方では劇的なクライマックスを演出するのにもふさわしいダイナミックな表現力を持ちました。またリズミカルで陽気に踊り狂う祭りの音楽にも、必要不可欠な楽器となりました。三味線は浄瑠璃といわれる物語性の強い音楽の表現に使われ、芝居の伴奏楽器として、使われることが当然のことになり、観客にウケたのです。こうして庶民が生活の中で楽しめる身近な楽器として、人々に愛用され、浸透していったのです。
 このことは日本人の感性が、外来の楽器をそのままコピーして使用するのでなく、独創的で非常に優れた芸術性と、創造性の高い音楽を創り得る民族であるということを証明しております、日本人が三味線という楽器を、世界に誇る音楽を奏でる楽器に仕立てていったということなのです。それゆえ、現在でも私のようなものでさえ、誇りと自信をもってこの楽器を海外にも紹介し、演奏し続けられているのです。
■美しい「サワリ」の音
 
 三味線の音の命は「さわり」です。本番の演奏時に一番気に入った音が出せるように、私は準備の段階で、「さわり」の音の付き具合に全神経を集中してあたります。それはまるで、登山家が登山をする前に、命綱の準備を怠りなくするのと同じくらいの気持ちです。そんな大げさな、と思われるかもしれませんが、私にとっては命がけの作業になります。「さわり」のついていない音色状態で弾かなければならない時ほど、暗く悲しいことはありません。まるで色あせて生気のない、しおれた花のようで情けないのです。
 この特殊な音響装置は江戸時代の末期には完成されていたようです。やはり音の良し悪しは先人たちも苦労したに違いありません。琵琶法師たちがバチを工夫しただけではなく、三味線弾きはその音色と余韻の延びにも苦慮した結果、琵琶にも備わっていた「さわり」の機能を研究して三味線にも取り入れたのだということです。なぜそれほどまでに「さわり」にこだわるかというと、三味線を弾くという行為は、ほとんどが皮を叩く行為です。絃を弾きつつ、強く皮を叩く。そうするとビヨ〜ンという「さわり」の機能が働いて、余韻が延びて、かくも美しく気高い音があたり一面に鳴り響き渡るからなのです。その響きある音の中で弾いているときほど幸せなことはありません。
 よく「さわり」について「あの日本独特な雑音の混じった噪音的音色が・・」などの記述がありますが、私は全くもって違っていると思っております。「さわり」の音は雑音なんかではありません。噪音でもありません。真に美しい余韻を効かせてくれるのが「さわり」なのです。それは響きの良い、音楽的な余韻のある音色です。だからこそ、私はその音を奏でるために命がけになるのです。
 「さわり」は非常に巧妙な倍音発生装置です。まず一の絃に「さわり」の音を充分つけます。その基音となる最低音の「さわり」が効いていると、他の開放絃が鳴り響き、三味線の音が倍音の宝庫となるのです。本調子の場合、まずオクターヴ上の三の絃がビョ〜ンします。そして二の絃は第2倍音が鳴ります。以下、二の絃、三の絃と音程のツボがうまくハマると見事に三味線は喜んでビョーンします。本調子、二上り、三下り、それぞれ倍音のツボが違うため、多彩な音色が出ます。華麗な三味線の音色は、このように特殊な音響装置「さわり」によって発生し、豊穣な音楽の世界を創り上げるのです。
■新しい三味線音楽「ジャワリ」
 
 2002年11月25日東京芸術劇場大ホールで行われた私のリサイタルで初演された玉木宏樹作曲「ジャワリ」は、「さわり」の機能を最大限に生かし、打楽器的絃楽器の要素を全面に押し出した、今までにない三味線音楽として注目されました。
「ジャワリ」とはインドのシタールなどについている「さわり」と同じ効果を出す音響装置のことなのです。三味線の「さわり」のルーツにあたるわけです。
 初めて「ジャワリ」の楽譜をいただいて、音を出した瞬間から、これは今までと違う、という直感がありました。バチを思いっきりタタキつけて、リズムを際出たせなければならず、本気でかかると本当にエネルギーを要する曲で、練習をする段階から、全身汗びっしょりになりました。私が高年齢で体力がおぼつかないからではなく、そのとき一緒に演奏した若手の演奏家たちも、汗たらたらでフーフーいって弾いておりました。お陰で洗濯機をまわす回数が増えましたが・・・。
 初演以来、様々なところでこの「ジャワリ」を演奏しておりますが、いつも特に気合いを入れて、バチで叩く奏法を駆使してかからないとうまく弾けません。聴いてくださった方々が「元気をもらった」「背筋が伸びる」「気持ちがスッとした」などなど益々張り切らざるを得ない感想を聞かせてくださいます。この1月にもオーストリー・ウイーンとドイツ・ケルンでコンサートをしたばかりです。プログラムは古典「さらし」ではじめ、最後を「ジャワリ」でキメたところ、効果てきめん。拍手大喝采でヒューヒューもの、今まで何度となく海外で演奏しておりますが、あんなに凄い反応は始めて、ブラボー! の拍手が鳴りやみませんでした。それもすべて「さわり」が効きに効いて、三味線本来の真に良い音が、のびのびと会場中に響き渡っていたからなのだと思います。
 バチを胴皮に強く当てて、リズムを際立たせる奏法は、三味線奏者自身が弾いていても気持ちのよい状態です。三味線にとって真にいい音とは、リズムの切れがよく、しかも響きのある余韻のある音なのだと、あらためて納得して帰国した次第です。
■息を合わせる、間をとる、バチを合わせる
 
 「ジャワリ」の初演(リサイタル2002)は4名のアンサンブル演奏でした。同じテンポで弾いているところでも、弾いている音型が変化したり、アクセントをずらしたり、リズムの拍を変えたりした時など、しばしばバチがあわなくなり、苦労するところです。通常、我々三味線弾きが2人以上、何人かで演奏する場合、一番気を使うことは「バチを合わせる」ということです。それは同時にバチを振り下ろし、同じ瞬間に音を出す、ということなのです。いっけん何でもないことのように思えますが、これが非常に難しいのです。いつも一緒に演奏して、かなり慣れている仲間でさえも、息を合わせ、相手のくせを読みとり、しかも自分の右腕をコントロールしてアンサンブルに臨まなければうまくいきません。
 三味線は横一列に並んで演奏することがほとんどですが、西洋音楽のような指揮者はおりません。リーダー格にあたるタテ三味線といわれる人が弾きながら指揮者にもなるのです。リズム(拍)も音程(カンドコロ)もぴったりタテ三味線に合わせなければなりません。息を合わせるだけでなく、タテが「ハッ!」「ヤッ!」「イヨッ!」というようなカケ声をかけて、気合いを込めて誘導する場合もあります。
 特に難しいのは、タテが優柔不断に延びたり縮んだり、間を充分とったりする演奏の時ほど恐ろしいことはありません。特に名人はその差が大きく、共演する誰しも胃がキュウッと痛くなること間違いありません。それほどまでにタテの創る音楽に同調して、バチを合わせ、音を合わせていくのです。こう言うと、いかにもタテが思い通りにその音楽を弾いているように思われますが、大間違い。全員がいかにも息を合わせて、間をとり、バチを合わせているがごとくに、周りの状況を読みつつ、周りに合わせつつ弾きまくるのが名人(タテ)であります。
 そこには、凡人が及びもつかない、とてつもなく大きな力が働いて、まるで魔法のように、よい音楽が生まれるのです。そんな名人と共演出来たときほど、嬉しいことはありません。この世の中に、ここ一点と思われる、絶妙な「間」を体験出来るチャンス、決して楽譜に書き表すことが出来ない、音楽の神髄がそこにはあるからです。